日本書紀の正体 改ざんされた古代史
ほお、真実の歴史を知りたいのですか。それを私に問いますか。
闇の歴史に入り込みすぎて、卒論が通過しなかった私にそれを問いますか?どの時代を知りたいのですか。
なるほど、古代史。それはまた、闇の深い話を選ばれましたね。
しかし、今なら引き返せますよ。平凡な日常で生活できますよ。何、それでも知りたいのですか。それでは話しましょう。
では・・・・
日本史の正史「日本書記」はたった1人の人物によって改ざんされていた
一般的に「日本書記」は舎人親王よって編纂されていたと言われています。
しかし、親王が編纂できるはずも無く、実務を担当した人物がおります。
それが今後、現在でも日本を支配した一族の祖である藤原不比等である。元々、不比等は、渡来人の先祖を持つ田辺大隅に養育された。
そして、実はこの不比等の親である藤原鎌足の正体は、歴史学者の関祐二氏によると当時、
日本に来日していた百済王子の扶余豊璋と同一人物だと言われています。
その根拠として、大織冠を賜ったのが、鎌足と豊璋だけであったというものです。
私は別の根拠として言うが、日本書紀には、百済史の歴史が詳しく掲載され、新羅を敵視した文献が数多く掲載されているのです。
日本書記を読まれた方は違和感お持ちになる1つとして百済賛美にあふれ、必要以上に新羅をおとしめております。
実を言えば、私も藤原鎌足は、豊璋と同一人物と疑っています。
元々、藤原氏は、天智天皇時代に鎌足が死去する寸前、藤原姓を賜り、藤原と名乗りましたが、天武天皇時代には冷遇されていました。
しかし、持統天皇になると不比等の環境が一変し、出世の道を歩み、日本書紀の実務を担当することとなりました。
というのも、持統天皇は、天武天皇の皇后とあるとともに、天智天皇の娘であり、天智天皇を賛美する必要性にあったのです。
自分の父を褒め称えてもらいたい、そういう思惑があり、不比等とともに、歴史の改ざんに動き出したのが真相です。
そこで不比等はこう考え、日本書紀を編纂する際、このような方針を打ち出しました。
「持統天皇を賛美する」「藤原氏の正体を隠す」「蘇我氏を逆賊とする」この3点であり、
これに成功した不比等は出世街道に登り、その子孫も繁栄することになりました。
日本史はたった1人の人物によって改ざんされたのです。
持統天皇の正体は、天照大神
まず、不比等は、天皇家の祖先を太陽神である天照大神と定めました。
天孫降臨を行った神として、孫の邇邇芸命としました。
これは実は持統天皇には、自分の子どもの草壁皇子という皇太子がおりましたが、早くに亡くなります。
そこで自分にとっての孫である首皇子を今後の天皇にどうしてもしたかったのです。後に首皇子は、文武天皇になり、不比等の娘である宮子と結婚します。
邇邇芸命が日本に降り立ち、日本を支配した構図を神話に求めた理由は、
自分の孫である首皇子は天皇になる正統性を神話と現実の世界でも重なるようにしたのです。
実は首皇子は皇位継承権があったのかも怪しい存在で、本来であれば別の皇子が天皇になっても不思議では無かったのですが、
この神話を捏造することにより、首皇子は後に天皇になります。
さらに、持統天皇は新しい時代とするように、天照大神と重なり合う構図としたのが日本書紀の第一のカラクリでもあったのです。
すべては、可愛い孫を天皇にするために、つくったことが動機の1つでもあったのです。
藤原氏賛美の理由
藤原鎌足の正体は百済人・豊璋であると疑っているのですが・・
僕はある時期(百済滅亡後?)に、豊璋は中臣氏の養子に入ったと推理しています。
そうなれば中臣氏の正統性を求めなければなりませんから、日本書紀には中臣氏の先祖として、中臣烏賊津なる人物が登場します。
しかし、この人物は、不比等の創作であり、さらに、中臣氏のさらなる祖先は天孫降臨を行なった邇邇芸命とともに日本に降り立った神である天児屋命としました。
つまり、この構図は、天皇家と藤原氏は一体であると強調したかったのです。
さらに、逆賊である蘇我氏を悪者にしたてあげ、蘇我入鹿を成敗した藤原鎌足を正当化したのですが
最近ようやく教科書もどうも大化の改新はなかったという方向に動き単なるクーデターとして教えるようになりました。
大化の改新は、後に編纂される大宝律令を正当化するための捏造の歴史でありました。
蘇我入鹿の分身は聖徳太子だった!!
最近の歴史教科書では聖徳太子の実在が不明確となり、厩戸皇子と教えています。
実は、聖徳太子の功績である大陸文化、仏教の普及、戦争の無い世の中を目指したこと、
あるいは、10人の言葉を明確に聞き分けたこと
氏族政治から、法による運営、様々な実績がありますが、これは実は悪役とされてきた蘇我入鹿の功績であったのが真相です。
つまり、蘇我入鹿の功績を実在しない聖徳太子の功績にすり替えたのが本当のところで、
もし、蘇我入鹿が功績を残したということにすれば、藤原鎌足が悪役になってしまう。
それをなんとしても避けたかったのが不比等の狙いだったのです。
こうして不比等は日本史を改ざんし、藤原氏は今日でも栄華を極めることとなりました。
藤原氏は長年、豊臣秀吉を例外に、摂政と関白の地位を独占しました。
戦前に首相をつとめた近衛文麿、日本新党から首相を務めた細川護煕、そして日本赤十字社社長も近衛氏です。
これは、歴史の教科書には決して描かれることが無い古代史です。
信じるか信じないかはアナタ次第です。