家紋に込められた怨念
日本で一番高貴とされている家紋と言えば皇室で使われている菊の紋ですね
菊の紋と言えば日本を代表する家紋といって差し支えない家紋として有名ですし、菊の家紋と言えば日本のパスポートにも描かれていてます。
次に有名な家紋が桐の紋ですね▼
この紋も菊の紋と負けず劣らず位の高い紋とされていて必ず日本人なら見ている紋になります
この紋どこかで見た事ありませんか?
この紋は実は戦国武将である英雄の一人である秀吉が使っていた紋でもあります
この紋が位が高い理由の由来として、実は歴史上初めて武将の中で唯一天皇家から紋を頂いたゆえんがあります
では実際どこでこの桐紋が使われているかどうかですね・・・
実は何を隠そう内閣総理大臣が公式発表などでテレビに映る際は必ずこの紋が使われています
内閣府の紋として正式な場面では必ずこの桐紋が使われています
次に日本の硬貨500円玉にもこの桐紋が使われています、できれば手元の財布から500円を見つけて確認してください。
日本人なら必ずこの紋は見ているはずです
新政府がなぜ豊臣の家紋を使う矛盾
ちょっとおかしな話だと思いませんか
明治維新がが起こり徳川幕府が解体され新政府が出来た訳ですが
その2つ前に主流だった(豊臣の)家紋を使うようになったのか・・
かなり不思議に思いませんか?
豊臣秀吉と言えば天下統一に力及ばず徳川に負けたので逆に言えば縁起が悪い訳です
つまり現在の日本政府は明治政府からの流れなんですが、明治政府はどういった人たちで形成されてたかというと
薩摩と長州ですね
坂本龍馬坂本龍馬は討幕に大きく関わり明治維新に大きく関わり色んな大きな組織目をつけられ※討幕とは当時の幕府を倒すの意味。簡単に言ってしまえば武士偉い制度をぶっ壊しました暗殺されたという歴史認識になっていますが実際[…]
薩摩と長州が日本の初期の総理なんですね、ちなみに初代総理大臣の伊藤博文は長州出身です。
では薩摩と長州の人達ってどうゆう人達だったのか?って話になりますが・・
そもそもは関ヶ原の戦いで徳川軍と豊臣軍の戦いで徳川が勝利したから江戸幕府が始まったわけです
では負けた豊臣軍というのは石田三成が率いていましたので一体どんな人たちを率いてたのか?
豊臣軍の中にいた武将(家臣)
- 薩摩(鹿児島の島津)
- 長州(山口県の毛利)
この土地のゆかりのある武将(家臣)を率いていました
この家臣達は負けた豊臣の軍の中にいたのです
だとしたらですが・・・信長が裏切られて後に秀吉が敵(かたき)をとるわけですが、かの有名な本能寺の変の後
明智光秀を秀吉が倒します
その後勢いに乗った秀吉は天下を取りかけましたが徳川家康に阻まれ散ってしまったわけですが・・・
その後徳川家康が天下統一を成し遂げ江戸幕府が始まります
話はこれで終わりません
その時負けた豊臣軍にいた家臣たちの恨みは消えていませんでした
300年越しの復讐劇
江戸幕府が始まり明治維新までに約300年ほどの期間がありますが
実は明治維新は豊臣の300年越しの復讐だともいわれています・・
そして明治維新にによって新政府が発足され新しいマークが発表されましたそのマークこそが豊臣の紋・・桐紋ですね▼
この桐紋は菊紋に次ぐ位の高い紋として現代の日本象徴として扱われているという事は300年越しの復讐が行われたのかもしれませんね・・・
信じるか信じないかはアナタ次第です
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