撤去作業で変死や怪我が続出。祟りや呪いはあるのか?羽田空港の鳥居/平将門公の首塚

街の再開発に伴って、
今まであった神社仏閣やご神木などを、
撤去しようとした際に事故。

その後も、度重なる事故によって、
撤去作業を断念したという話を、
あなたも聞いたことありませんか?

例えば、国道の真ん中に大木や岩があり、
それらを避けるように道が続いているというような。

これらの何らかの理由で、
撤去作業をした際に不幸が起きる理由を、
オカルト的に言うと…

祟り、呪いだと言われています。

果たして、祟りや呪いは存在するのでしょうか?

この記事では、不思議なパワーを持つ
ご神木や神社仏閣などを、
取り上げていこうと思います。

羽田空港の裏の赤い鳥居

羽田空港の裏にある場所に立つ、
一つの赤い鳥居をご存じでしょうか?

羽田空港の鳥居

やりすぎ都市伝説でも紹介されたので、
ご存知の方も多いかなと思います。

ただ、「なんで、こんな所に鳥居が?」と、
疑問を持たれると思います。

鳥居は羽田空港の裏の駐車場の、
中途半端な場所にありますし、
その先に神社があるわけではありません。

実はこの鳥居は、
「穴守稲荷神社(あなもりいなり)」
という神社の一部でした。

穴守稲荷神社(あなもりいなり)の由来

穴守稲荷神社は豊穣の女神
豊受姫命(トヨウケビメ)を祭神として、
稲荷神(いなりしん)を祭る神社です。

豊穣の女神 豊受姫命(トヨウケビメ)

稲荷神とは、日本の神様の1つであり、
私たちが良く知っているお稲荷様の事です。

なぜ、狐を神として崇めるのか?と、
気になった事はありませんか。

穴守稲荷神社の起源をたどると、
狐が神格化した理由が見えてきます。

穴守稲荷神社のルーツ

時代は、江戸時代までさかのぼります。

江戸時代、この地域で農作物を守るため、
狐を駆逐した事があったようです。

その時、この地域の堤防が決壊してしまい、
海水が流れ込み、大きな被害を受けたようです。

被害を受けた村人たちは、
駆逐した狐が多く生息していた羽田沖を、
埋め立て、堤防にし神社を建立しました。

駆逐してしまった狐を祭る神社です。

これが、穴守稲荷神社なのです。

神社を建立後程なくして、
荒れ狂っていた海は無事に治まります。

苦しんでいた塩害も改善し、
村は豊作に恵まれました。

このことがきっかけで、
穴守稲荷神社、お稲荷様は、
霊験あらたかな神社1として信仰されます。

その結果、お稲荷様は、
食物と豊穣、商売繁盛、屋敷と土地の守護を司る
神様として信仰されるようになったのです。

同様に、狐も神様、もしくは眷属として、
江戸の人々に信じられるようになりました。

  1. 「霊験(れいげん)あらたか」とは、神様のご利益がすぐに現れる。といった意味。 ↩︎

これが、穴守稲荷神社のルーツであり、
狐が神格化したルーツです。

赤い鳥居の祟り(お稲荷様の祟り)

時代は流れ昭和初期の時のことです。

穴守稲荷神社の付近に、
東京飛行場(後の羽田空港)が、
作られる事になりました。

そして、終戦後日本を占領したGHQは、
羽田空港を軍事基地として、
発展される計画を考えます。

計画推進のため、穴守稲荷神社や、
その周辺の家屋も撤去して、
飛行場の一部にする事を決めたのです。

計画は進む、穴守稲荷神社は別に移され、
社殿や鳥居は破壊されてしまいます。

…が、先ほどの写真からもわかりますが、
羽田空港の駐車場には、
鳥居が残されていますよね。

羽田空港の鳥居

もちろん、撤去をする予定でしたが、
祟りによって、取り壊しができなかったのです。

  • 取り壊すため鳥居に、ロープをかけるとロープが切れて作業員が死傷
  • 取り壊すための重機に、作業員が挟まれて死亡
  • 工事関係者が突然の病で倒れる

不幸な事が相次いで起こったため、
鳥居の取り壊しは中止されました。

しかし、再開発が進むにつれて、
再度、鳥居の取り壊しの計画が浮上します。

前回、中止になった工事から30年後、
正式に取り壊しが決定されましたが、
またもや「祟り」が起こってしまったのです。

それが「日本航空350便墜落事故」です。

滑走路の手前で飛行機が墜落し、
死者24名と重軽傷者149名を出す、
前代未聞の大惨事が起きたのです。

事故の影響で鳥居の取り壊しは中止され、
1999年に現在の場所へと、
移転されることになったのです。

ちなみに、墜落事故の原因は、
精神的な病を抱えていたパイロットの、
操縦ミスと言われています。

祟り?とは、言えないかもしれませんね。

平将門公の「首塚」

羽田空港の鳥居よりも、
メジャーなものではないでしょうか。

平将門公の首塚です。

「平将門の乱」として、教科書にも掲載されていて、
一度は聞いた事があると思います。

この戦乱で、打ち取られた将門公は、
京都でさらし首にされるのですが、
3ヶ月経っても腐らず、毎晩叫び声をあげたそう。

そして、首は、東の方角に飛び去り、
今の首塚がある東京都大手町付近に落下しました。

平将門の怨念、祟りを恐れた人々で、
丁寧に供養されたことが、
現在の「平将門公の首塚」の始まりです。

平将門公の「首塚」:大蔵省の役人たちに不幸が訪れる

首塚を作り、供養をしていましたが、
対象自体に関東大震災が発生します。

その結果、首塚も被害を受けたため、
取り壊しが行われて、
大蔵省の仮庁舎が建てられる事になりました。

ここから、次々と不幸が訪れます。

大蔵省を襲った不幸

大蔵省の役人や、工事関係者や、
大蔵大臣の早速整爾を含む14人が亡くなりました。

具体的な下記のとおりです。

  • 大蔵大臣の早速整爾が病死。
  • 幹部クラスも含めて14名が2年以内に死去。
  • 政務次官・事務次官以下多数の者が足を負傷。
  • 大蔵省庁舎が落雷によって全焼。(将門公没後1000年の節目)

偶然とは言えないほど、
多くの不幸が立て続けに起こったのです。

その後、戦争が発生し、日本はGHQに占領されます。

将門塚のことなど何も知らないGHQは、
駐車場を作るために、
首塚の撤去工事を始めます。

工事中にいきなりブルドーザーが転倒し、
運転手が亡くなる、事故が発生しました。

まとめ

今回、記事のテーマに沿う形になるよう、
あえて「祟り」とさせて頂きました。

注意点を上げさせて頂くと、
祟りと言われている内容も、
大げさになっている事が多いようです。

例えば、鳥居の移転の際、
強風や雨が降って、
重機が使えなかったといわれています。

しかし、実際には、やや風が強いくらいで、
重機を使って、移動したという内容が出てきます。

実際に起こった事よりも話が大きくなり、
祟りと言われているケースも、
かなり多いのではないかと思います。

ただし、平将門公の首塚のように、
科学では説明がつかない、
不思議な力を持った場所もあります。

芸能人の方も、将門公の首塚でふざけて、
仕事がなくなってしまったという話も聞きますし。

だから、全てがあり得ないとは、
断言する事はできませんし、
私自身、祟りなどはあると思っています。

いかがでしたか?
あなたは「祟り」があると思いますか?

天野翔一郎
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