松尾芭蕉の正体は服部半蔵だったと言われる3つの理由

あなたは服部半蔵をご存知ですか?

忍者として非常に有名な人物で
日本の多くの人が知っている名前です。

実は、服部半蔵は松尾芭蕉だった
という説があるそうなんです。

松尾芭蕉と服部半蔵が
同一人物だったと言われる理由を
いくつかご紹介していきます。

徳川家康と忍者部隊

徳川家康が関ヶ原の戦いで
天下を取った事はご存じだと思います。

なぜ、天下を取る事ができかというと、
徳川家康は世界初のスパイ・暗殺部隊を
抱えていたからだと言われています。

いつの時代も情報が重要な事は変わらず、
スパイがいれば情報は筒抜けですし、
敵将を暗殺して戦を有利に進められます。

この世界初のスパイ・暗殺部隊が
服部半蔵が率いた忍者部隊と言われています。

忍者集団の活躍もあって、
徳川家康は関ヶ原の戦いで天下を取り、
長く続く江戸時代を築きました。

服部半蔵が手に入れたもの

戦に勝ち天下を取った徳川家康に
服部半蔵は2つ褒美をもらったそうです。

  • 名前
  • 全国を旅する権利

この2つを頂いたそうです。

服部半蔵の半蔵は東京にある
半蔵門から名前を頂いたそうです。

2つ目のお願いは、
「自由にしてほしい」
「全国を旅させてほしい」です。

今まで、忍者部隊を率いて
ずっと頑張ってきたから
旅をさせてほしいと直訴したそうです。

そして、歌う事が好きだった
服部半蔵は全国を旅する事になります。

その時に使った偽名こそが
松尾芭蕉と言われています。

服部半蔵が松尾芭蕉と言われる理由

理由はいくつかありますので、
順番に説明していきます。

  • 尋常じゃない移動距離と資金源
  • 全国を行き来する通行手形
  • かごめかごめとの共通点

それでは、順番に見ていきましょう!

松尾芭蕉の移動距離と資金

松尾芭蕉が全国を旅した時の年齢は
実に45歳と言われています。

45歳から旅をはじめてからの
総移動距離は驚異の2400キロ。

一説には「1日の歩行距離は50キロあった」と
言われているほどです。

あなたは1日50キロ歩けますか?
私には無理そうです・・・。

この驚異的な移動距離から
松尾芭蕉は忍者ではないか?
という疑惑があります。

ちなみに、松尾芭蕉の出身地は
忍者で有名な伊賀なんです。

また、一回の旅人が旅をしながら
日本全国を回るためには、
潤沢な資金が必要ですよね。

旅を支えてくれるスポンサーが
いたのではないかと言われています。

全国を行き来する権利

昔の日本は今の日本と違い、
厳しい交通規制がされていました。

反乱を防ぐため交通を規制したのです。

江戸時代の関所は、その人が有名で
力のある人物だったとしても、
通行手形がないと通れない個所もあります。

松尾芭蕉の足跡をたどっていくと
最高レベルに厳重な関所を
問題なく通過した痕跡があるのです。

当時の松尾芭蕉は「旅人」です。

一介の旅人だった松尾芭蕉が
関所を通る事ができた事から
徳川家に近い人物という事がわかります。

旅をした目的「かごめかごめ」

あなたはかごめかごめという
歌を聞いたことがありますか?

おそらく、一度は耳にした事が
あるのではないでしょうか?

かごめかごめを広めたのは
松尾芭蕉だと言われていますが、
歌の意味はご存知でしょうか。

実は、「徳川埋蔵金のありか」を
示す歌だと言われているのです。

かごめかごめと埋蔵金伝説に関する事は
こちらの記事で詳しくまとめました。

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まとめ

服部半蔵が松尾芭蕉だったと
言われる3つの理由を紹介しました。

聞いてみれば「なるほど」と
思える理由だと感じました。

真偽のほどはわかりませんが、
もし、同一人物ならおもしろいですよね!

天野翔一郎
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