「暗い日曜日を聞くと必ず○○してしまう。」
にわかには信じがたいこの都市伝説は、中央ヨーロッパに位置するハンガリーという内陸国で生まれた。
1933年に曲が作られてからというもの、曲を聞いた後に○○する者が後を絶たなかったという。
今回はこの「暗い日曜日」について紹介したいと思う。
曲「暗い日曜日」とは
最初に言っておくが、○○とは何か。それは自殺である。。。
「暗い日曜日」とは、ヤーヴォル・ラースローが作詞し、シェレッシェ・レジェーが作曲した楽曲で、1933年にハンガリーで発表された。
作詞を担当したヤーヴォルは、婚約者を失ったばかりで失意の底におり、作曲者のシェレッシェも「暗い日曜日」が世に送り出される前は、自身が作曲した曲がなかなか受け入れられずに落ち込んでいたという。
「暗い日曜日」は、ヤーヴォルが作詞・作曲の両方を手掛けていたが、歌詞が暗すぎるという理由で音楽会社に採用されずに、シェレッシェの歌詞が採用された。
しかし、そのシェレッシェ自身も婚約者を失くしたばかりだったので、結局どちらが作詞しても暗い内容は変わらなかったのかもしれない。
精神状態がかなり不安定な二人の音楽家が作り出したこの曲は、タイトルの通り暗く悲しい曲である。
歌詞の内容は「暗い日曜日に一人の女性が亡くなった恋人のこと想って嘆き、最後は彼女自身も○○の決意をして曲が終わる。」というものである。
靴屋職人の○○事件
1936年2月。
ハンガリーのブタペストの警察は、靴屋職人のジョセフ・ケラーという人物が○○した事件について捜査していた。
事件が起こった部屋にはジョセフが書いたとみられる遺書も残っており、○○として処理された。
遺書には“とある曲の歌詞”が書かれており、○○を決意した者が好きだった曲の歌詞を遺書に残すことは珍しくはないのだが、この“とある曲”こそ「暗い日曜日」であった。
そして、ジョセフが○○した時、既にこの曲に関係する○○者が17名も出ていたのだ。
ブタペスト警察は「暗い日曜日」と「○○者」の因果関係が明らかになっていないが、これ以上犠牲者を出さない為に、曲の演奏と販売を禁止した。
しかし、既に「暗い日曜日」は国外に輸出された後であり、国外でも曲を聞いた人が○○をする事件が相次いだ。
一部のマニアの間では「○○の聖歌」と呼ばれるようになり、イギリスの公共放送BBCでは放送禁止になったという。
「暗い日曜日」に関係して命を絶った人の一覧
- バーでジプシー(ヨーロッパなどに散在する民族で、差別を受けていた)のバンドが「暗い日曜日」を演奏したところ、観客の男性2名が立ち上がって突然、拳銃で○○をした。
- 幼い少女が「暗い日曜日」のレコードを両手で抱きしめたまま、ドナウ河に身を投げて○○した。
- バーで飲んでいた初老の男性が、バンドに「暗い日曜日を演奏してくれないか。」とリクエストをして、演奏が始まった直後、店の外へ飛び出して銃で○○をした。
- ベルリンで女性が首吊り○○をした。女性の足元には「暗い日曜日」のレコードが置かれていた。
- ニューヨークの女性が有毒ガスで○○をし、遺書には「葬儀の際、暗い日曜日を流してほしい。」と書かれていた。
- ローマで浮浪者の元に自転車に乗った少年が現れ、ポケットから所持金を全て出して渡すと、そのまま川へ身を投げて○○した。浮浪者は「暗い日曜日」を口ずさんでいたという。
作詞者のシェレッシェ・レジェ―、日本で「暗い日曜日」をカバーをした阿部薫、その妻の鈴木いづみも○○によって命を落としている。
まとめ
このように数多くの○○者を出した「暗い日曜日」だが、未だにこの曲との因果関係は解明されていない。
とある日本のテレビ番組では、街頭インタビューを受けた女性が「“暗い日曜日”を聞いていたら、ベランダの窓に血痕が浮かんできた。」と話していたそうで、この曲には生者をあの世へ誘う不思議な力があるのかもしれない。
日本語の歌詞は探せばすぐに見つかる。興味がある方は自己責任で確認してみるのが良いだろう。