犬鳴峠の怪談
犬鳴峠とは福岡県久山町にある有名な心霊スポットで九州で一番ヤバイ心霊スポットといわれ、妙な意味での観光スポットです。
-この先、日本国憲法は通用せず-
犬鳴峠や犬鳴村伝説を色々と探ってみると「この先、日本国憲法は通用せず」という看板があり、
おもしろ半分で心霊体験をしたいカップルが訪れると、怪しげな村人にオノやクワで襲われ、
助けを求めて警察を呼んでも携帯も圏外になり公衆電話も使えない状態になり、最後は虐殺されたという話があります。
これ一体マジなんか?ってエピソード満載ですが実在した話なんでしょうか?
外部からの侵入を拒む村民たち
犬鳴村に入って帰ってきた者はいないといいます。
村人たちは異様に外部からの侵入を拒み、入れば、罠にひっかかりすぐわかるようになり、村人総出で襲いかかると言います。
江戸時代から厳しい差別を受けて隔離された村
これは江戸時代から、非常に厳しい差別を受け、その結果外部との交流を避け、自給自足をし
従姉妹との婚姻を繰り返し孤立した村となった説もあり、犯罪者や逃亡者が集まって成立した村とも言われています。
また、この村には、ハンセン病患者も集められ、村はますます孤立していきます・・・
犬鳴村Google地図▼
戦時中は、朝鮮人がトンネル工事で強制的に働かされたこともあり朝鮮人も住むようになりました。
犬鳴伝説を集めるとこのようなものになります。
実は日本にはこのような村がたくさんありました。そして今もあるのです。
「幽霊を見に行こう」と行った少年たちが帰り道、福岡県二丈町福井の国道202号線バイパスでKさんが運転するトラックと正面衝突、軽乗用車の4人が死亡、1人が重体、トラックの運転手は軽傷を負った。
犬鳴峠で福岡県田川郡方城町伊方の工員・Uさんが焼死体で発見され、警察は田川地区の少年グループ5人がUさんにガソリンをかけて焼き殺したと断定、殺人と監禁容疑で逮捕しました。
犬鳴ダムで死体遺棄事件が発生している。
以上が犬鳴峠・村の怪談を集めたものなのですが、実はほとんど根拠が無いことです。
実は本当の犬鳴村も実在していたのですが、怪談で言われているような犬鳴村とは別で、今はダムに沈んでいます。
犬鳴峠や犬鳴村伝説が生まれたワケ
では何故、犬鳴峠や犬鳴村伝説が生まれたのでしょうか。
九州にも全国にも隠れ里が存在し、外部からの侵入を拒んだ村や朝鮮人が集まって成立した地区、
ハンセン病患者を隔離した場所はいずれもすべて実在します。
さすがに「日本国憲法通用せず」の看板は知りませんが、
同じ九州福岡には東京に泥棒を行ってお金を稼いだ泥棒村も実在します。
※以下yahoo知恵袋転載
Q、質問
昔、福岡には「泥棒村」があったのですか?
今日の中日新聞夕刊のコラムに載っていました。
「泥棒村」について、詳しく教えてください。
ベストアンサー
http://www.chunichi.co.jp/article/column/yuhodo/CK2010081702000204….これですね。現在で言う福岡県田川郡川崎町にありました。ただの端田舎ですが、福岡県下ではかなり治安が悪い方とされています。もちろん普通に住めばなんてこと無いのでしょうけど。川崎町も南北に長いですので、具体的にどこら辺に当たるのかは知りませんが、いわゆる「どろぼう部落(集落)」とやらがありました。http://www.geocities.jp/showahistory/history05/topics46a.htmlより
※URLはリンク切れになっています■万引き続けて半世紀
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大正、昭和と50年、万引きを続けていた集団、福岡の田川郡川崎町の藤ヶ瀬グループのリーダー、
瀬川徳次郎(67)が手下の男女11人と、昭和46年4/21に八戸署に逮捕された。
5/6には故買部門の元締め、森沢禎三(73)が盗品を売りさばいたとして、刑の執行停止取り消しとなり入監が決定した。
森沢は3年前に懲役1年6ヶ月となり、服役していたが、病気で執行停止となっていた。
しかし病室から電話で盗品の取引の指示を出したり、上京までしていたために、
懲役1年2ヶ月10日分の残りの刑期を務める事になったのだった。
森沢は別名「ノートルダムのせむし男」と警察関係者から呼ばれ、前科12犯、15、6歳ですりを働き、
列車から落ちて足を折ってからは、故買専門となり、年商は数億円だった。
瀬川は八戸での3件だけ犯行を自供、瀬川の万引き歴は51年で、26歳年下の妻を持っていた。
4/12に福岡を出発して、万引き行脚をして歩き、今回のツアーで40店舗から1000万円分の商品を万引きしていた。瀬川ら藤ヶ瀬グループの地元の町は350世帯800人が住んでいたが、前科者が114人という地域で、
瀬川らは地元では名士だったという。昭和46年時で、藤ヶ瀬グループは何せ半世紀もリーダーの瀬川が
尻尾を出さなかったという事からも、警察の間でも伝説的な存在だったため、
この瀬川の自供はわずか3件とはいえ、全国紙が大々的に報じるほどのニュースだった。
5/24にはTBS「ニュースコープ」が藤ヶ瀬について放送、それによれば180戸の炭住長屋に住む
大人430人中150人にスリや万引きの前科があり、すべて合わせると前科310犯に及び、年2億円の稼ぎになったという。
藤ヶ瀬グループは結城昌治「白昼堂々」のモデルともなっている。
こうした時代背景などがあり、隠れ里のような不便な場所が都市伝説スポットして生まれ、
犬鳴峠や犬鳴村の伝説が成立したと考えられます。
実は、杉沢村都市伝説もモデルとなった事件があり、それによって生まれたのです。
杉沢村は本当に記録から消えた村…?杉沢村は青森県の山の奥にあったといわれており、その存在自体が都市伝説といわれている。というのも、現在では地図上からも消え、青森県にある公式の記録の中にも該当するものが存在しないからである[…]
ガッカリした人もいるでしょう。
しかし、犬鳴峠怪談は仮に、存在しなくてもモデルになった過去の事件や事故は存在したのです。
人々の心の中に好奇心がかき立てられたことがすべての原因なのです。
またこの心霊スポットに関しては元々根拠となる目立った事件や事故などが無いにも関わらず幽霊目撃情報が後を経ちません
もし訪れるような事があれば自己責任の上確認していただければ・・と思います