コクリコ坂にはエヴァンゲリオンが関わっていた…?
「コクリコ坂から」は、原作が少女マンガなのだが、実は1990年頃から既に、制作についていろいろな都市伝説があったらしい。その一つが、押井守と庵野秀明が関わっていたという都市伝説である。
宮崎駿監督は当時、信州の山小屋で毎年夏に合宿を開催していたらしいのだが、その時の参加メンバーが押井守と庵野秀明だったのだ。押井守は攻殻機動隊を手掛けたことで有名で、庵野秀明はエヴァンゲリオンを手掛けたことで有名な人物である。
この3人は合宿中、少女マンガを題材に取り上げて映画になるかどうかを熱く語りあっていたという。その頃、候補に挙がったのがコクリコ坂からであり、宮崎駿監督はこの作品をかなり気に入っていたという都市伝説がある。
いつか映画にしようとまで考えていたという都市伝説もあるのだが、結局本人が手掛けることはなく、息子である宮崎五朗監督がコクリコ坂からを制作することになった。
宮崎駿監督としては自分ですべて手掛けたかったという気持ちもあっただろうと察せられるが、その際、ゲド戦記の時のように親子間で何かトラブルがあったかどうかは定かでではない。
ちなみに、宮崎駿監督が脚本を書いたのだが、その脚本にはほとんど会話しかなかったらしく、宮崎五朗監督は制作時かなり苦労したという都市伝説がある。ちなみにそれが故意なのかどうかは謎である。
コクリコ坂には幻の爆破シーンがあった…
「コクリコ坂から」には、実は幻のシーンがあると言う都市伝説がある。
それは、主人公の父親がLSTの爆発で亡くなるシーンなのだが、主人公の人間像に深く影響するとして、そのシーンは宮崎駿監督の提言でまるまるカットされ、主人公が布団をたたむシーンに変更されたらしいのである。
ちなみに余談ではあるが、「コクリコ坂から」を制作する際、宮崎五朗監督のすることに宮崎駿監督はいちいち口やら手やらを挟んでいたらしく、現場の五朗監督はかなりストレスが溜まっているという都市伝説があった。
そして、実は上記の爆発シーンのカットについてだが、宮崎駿監督が、宮崎五朗監督の作品において父親が死ぬという直接的なシーンをあまり好ましく思っていないことから、まるまるカットされたのでは?という都市伝説もあるのだが、実際のところどうなのかはわかっていない。