三重県津市には、「メリーさん」と呼ばれる高齢の女性がいた。
いつも決まった場所に現れ、何もせずに一日中ベンチに座り続けているという。
一時期、全国版の週刊誌に取り上げられるなどし、メリーさんの話は日本中に広まった。
今回はそんな「メリーさん」について紹介していこう。
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三重会館(津市)のメリーさんとは
メリーさんとは、三重県津市の三重会館(現在の中央郵便局)の一階にある、バス待ちのベンチに座っているおばあさんのことだ。
ど派手なメイクをして、赤い帽子・赤い服・赤い靴・赤いマニキュアをしており、全身赤色で身を包んで、毎日そこに座っていたという。
何をするわけでもなく、決まった時間に現れては、ただボーっと一点を見つめるだけだったそうだ。
そして歩く速度は異常に速く、脇目も振らずに歩くという。
筆者の母親の目撃情報によると、目元は緑・青系のアイシャドウをしており、雰囲気は美輪○宏さん似ていたらしい。
メリーさんが真っ赤な服を着ていた理由
目撃した人に強烈な印象を与えるメリーさんの服装は、何故かいつも真っ赤だった。
彼女の服装が赤で統一されている理由として、以下の理由が噂されている。
理由①【旦那さんと息子さんのため】
戦争で旦那さんと息子さんが徴収されたが、終戦後になっても、二人はメリーさんの元に帰って来なかった。
彼女は、周りの人に「二人の事はもう諦めなさい」と言われても、耳を貸さなかった。
“旦那と息子が帰って来た時に、歳を取った自分に気づいてくれないかもしれない”という思いから、彼女は大好きだった真っ赤な服を着て、未だに帰って来ない二人を待ち続けているという。
理由②【息子の事故死】
幼い息子を連れて、外出していたメリーさんだったが、不運にも息子が目の前で事故に遭い、帰らぬ人となってしまった。
ショックのあまり、精神を病んでしまったメリーさんは、事故時に息子の身体から流れ出ていた「真っ赤な血」が頭にこびり付いて離れず、いつしか自然に「血の色」の服を着るようになったという。
理由③【火事で息子を亡くした】
メリーさんの家が火事になり、なんとか自分は火の手から逃れる事ができたのだが、幼い息子さんは、火に包まれた家の中に取り残されてしまった。
懸命な消火と救助活動も虚しく、息子さんは亡くなってしまった。
目の前で家が真っ赤な炎に包まれ、可愛い息子を助けられなかったメリーさんは、精神を病んでしまった。
それからというもの、目に焼き付いた「炎の色」で全身を身に包むようになったという。
メリーさんの怖い話
噂話だけ聞いていると「赤い服が好きな、ただのご婦人」に思えてくるが、どうやらそれだけではないらしい。
メリーさんは人間離れした身体能力を持ち合わせているというのだ。
【バイクに追いつくメリーさん】
ある日、国道23号線を歩いていたメリーさんを見かけた二人の若者は、メリーさんをからかってやろうと考えた。
大声で昔の悪い噂を周囲にバラし、馬鹿にされた事に怒ったメリーさんが、バイクに乗っていた二人組に追いつく速さで追いかけて来たという。
・・・人間がバイクに追いつく速さで走るということ自体が考えられないが、メリーさんはかなりご高齢の女性である。
筆者の母親が目撃した時は、既に70歳を超えているように見えたらしく、その年齢でバイクに追いつく速さで走るとは、とんでもない身体能力である。
メリーさんの現在
メリーさんが最後に目撃されたのは今から20年前ほど前。
彼女の現在について、二つの情報を手に入れることができた。
①【肺炎説】
噂によると冬の寒い日に、いつものようにベンチに座っていたところ肺炎を発症してしまい、市内の病院に緊急搬送され、そのまま帰らぬ人となってしまった。
②【赤い服卒業説】
突然赤い服を着なくなったが、化粧は相変わらず濃いまま。
年相応の地味な服装で随分背も低くなり、中央郵便局ではなく、津市役所のロビーに座っている。
赤い服の印象が強いせいか、地味な服を着るようになってからは、誰もメリーさんだと気づかない。
※こちらの情報は2001年のもので、やはり20年近く経っていることから、既に亡くなっていると思われる。
ある日を境に“あのベンチ”から姿を消してしまったメリーさんだが、消えた理由の真偽は明らかとなっておらず、メリーさんが騒がれ始めてから40年近く経つが、彼女の素場について知るものは誰一人としていない。
昭和を代表する三重県津市の都市伝説だが、彼女は本当に存在した女性であることから「メリーさんが着ていた真っ赤な服の謎」こそ、都市伝説と言えるだろう。