世界中で使用されている言語は、現在使われているものだけでも約7000種ほど存在していると言われますが、その言語を表記するための文字の種類は意外にも少ない数になります。
歴史上、創り出されてきた文字の中には現代では解読不可能な、いわゆる「未解読文字」が存在します・。
未解読文字で書かれた文書の中でも、特に有名で謎に包まれているものが『ヴォイニッチ手稿』です。
2017年9月、そのヴォイニッチ手稿が解読されたというニュースがネットで話題になりました。
果たして、謎に満ちたヴォイニッチ手稿にはどんな秘密が隠されていたのでしょうか?
ここでは「ヴォイニッチ手稿3つの真実」について紹介しましょう。
1.世界の有名な未解読文字3つの例
全世界で使用されている言語の種類は約7000種にも及ぶとされていますが、言語を表記する文字の種類は以外に少なく、現代において使用されている文字は28種類に過ぎないとされています。
もちろん、人類の歴史において発明されたすべての文字が現代でも使用されているわけではなく、現在使用さえれていない89種類の文字の存在が知られています。
しかし、そうした文字の中には、現代では解読できなくなっているものもあります。
そうした文字を「未解読文字」と呼びます。
ある文字が「未解読」になってしまう理由としては
・もともと、他の言語と関係性の低い孤立した言語を表記する文字であること
・現存する文章が少な過ぎるために、解読のための資料が乏しいこと
といった理由が上げられます。
有名な未解読文字の例をご紹介しましょう。
①イースター島の「ロンゴ・ロンゴ」
モアイ像で有名な南太平洋上のイースター島で使用されていた文字が「ロンゴ・ロンゴ」です。
「ロンゴ・ロンゴ」とは、現代に伝わるイースター島の土着言語ラバ・ヌイ語で「暗唱」「朗読」「詠唱」という意味があります。
19世紀末に発見された当初は、ラバ・ヌイ語の古い文字であると考えられていましたが、その後の研究の結果、17世紀にヨーロッパ人との接触があって以降に発明された、比較的近代に創り出された文字であるという説が、現状最も有力視されています。
ドイツの民俗学者トーマス・バルテルが1958年に刊行した著作によれば、「ロンゴ・ロンゴ」には基本形の文字約120種と、その派生文字480種の合計約600種の文字が存在しているとされています。
「ロンゴ・ロンゴ」は、文字として体系化される以前の記号(原文字)であるとする説が有力で、現時点でいまだ議論の対象とされ、解読は成功していません。
②クレタ島の「線文字A」
イギリスの考古学者サーバー・エヴァンスが1900年に、地中海にあるクレタ島でミノア文明の中心地とされたクノッソス宮殿の発掘を行い、その際に三種類の未解読文字「聖刻文字」「線文字A」「線文字B」を発見しました。
これらの文字は粘土板に刻まれた形で発掘されましたが、数が少なく、発見されたものも損傷が酷かったために、解読作業は難航しました。
1950年代に入って、「線文字B」が解読され、初期のギリシア語を記したものであることが判明します。
この「線文字B」の意味を当てはめて「線文字A」の解読を行おうという試みが行われましたが、2017年現在も、その解読は成功していません。
③中国の「賈湖契刻文字(かこけいこくもじ)」
「賈湖契刻文字」は、中国河南省の賈湖遺跡(新石器時代の遺跡)で発見された16個の文字状のシンボルです。
この文字を刻んだ甲羅は、紀元前6600年ほど前のものだと考えられています。
現代の漢字の「目」や「日」に似た記号が含まれることから、これを原始的な漢字である「甲骨文字」の原型とする意見がある一方、これを文字と見做さない否定派の主張もあり、解読されるには至っていません。
2.『ヴォイニッチ手稿』発見に関する4つの秘密
前述の未解読文字の事例は、いずれもその時代の文明社会との間に深い関係性があると考えられているものですが、それらとはまた異なるタイプの未解読文字も存在しています。
それは「個人が作り出した人造言語を表記している」と考えられる文字です。
その代表的存在と呼べるのが『ヴォイニッチ手稿』です。
『ヴォイニッチ手稿』はそのミステリアスな内容から、多くの研究者が解読に挑んでいますが、2017年時点で、いまだ定訳として評価されるに至る解読結果は出ていません。
果たして、『ヴォイニッチ手稿』とは一体どのようなものなのでしょうか?
①革命家に発見された『ヴォイニッチ手稿』
『ヴォイニッチ手稿』という呼称は、その発見者であるウィルフリッド・ヴォイニッチの名前から来ています。
ウィルフリッド・ヴォイニッチは、元の名をミハウ・ハブダンク・ヴォイニッチといい、ポーランドで革命家として活動した人物でした。
1890年にポーランドのワルシャワからイギリスのロンドンに逃れたヴォイニッチは、そこで名をウィルフリッドと改め、革命家としての活動を引退後、ロンドンで本屋を開店し、古書収集家として活動を始めます。
1912年、ヴォイニッチはイタリアで30冊の手稿(手書きの文書や写本のこと)を入手しますが、その中に未知の文字で書かれた謎の文章が存在していました。
これが後の時代に『ヴォイニッチ手稿』として知られる文書です。
②『ヴォイニッチ手稿』の概要
『ヴォイニッチ手稿』は240ページの羊皮紙からなる文章です。
紙面には他に例を見ない未解読の文字による綿密な書き込みがある他、天文や植物、浴槽につかる裸の女性などの絵が随所に描かれています。
『ヴォイニッチ手稿』の文章は、他に一切類を見ない謎の文字体系によって書かれており、一見しての解読は完全に不可能です。
この手稿をめぐる意見の中には、文章にみせかけたでたらめな物に過ぎないとする説もありますが、言語学的な手法による解析の結果、言語としての規則性を持つ、人造言語もしくは未知の文字体系によって書かれた文章であることが有力視されています。
文章の書かれている羊皮紙を放射性炭素年代測定法により測定したところ、1400~1440年代のものであることが判明しており、近代に捏造された可能性も否定されています。
③『ヴォイニッチ手稿』発見に至る経緯
『ヴォイニッチ手稿』の存在に関する最古の記録は、1639年にプラハの錬金術師であったゲオルグ・バレシュがドイツの学者アナスタシウス・キルヒャーに宛てた手紙の中に見出すことができます。
バレシュの死後、手稿はキルヒャーの手に渡ります。
手稿には神聖ローマ帝国の皇帝であるルドルフ2世が、この手稿を購入した旨を記録したメモが添付されており、このメモはヴォイニッチが入手した時点でも添付されたままでした。
以後、紆余曲折を経てローマ教皇庁立の大学(コレッジ・ロマージョ)の蔵書となり、財政難で他の手稿と共に売り出されたものをヴォイニッチが購入することになります。
③『ヴォイニッチ手稿』の作者に関する仮説
『ヴォイニッチ手稿』の作者については、贋作やデタラメとする説も含め複数の仮説が存在しましたが、特に有名だったのは13世紀
前期のイングランドの哲学者ロジャー・ベーコンを作者とする説と、16世紀イングランドの錬金術師、エドワード・ケリーとする説です。
ロジャー・ベーコン説では当時の宗教弾圧の手から薬草学の知識を守るために、暗号化した文章として遺したものとされ、エドワード・ケリー説では、錬金術に傾倒していたルドルフ2世に売りつけるために捏造されたものであるされています。
しかし、いずれの説も、炭素年代測定では時期的にずれており、いまだ『ヴォイニッチ手稿』の作者は不明のままとなってます。
3.『ヴォイニッチ手稿』の真実3つの噂
その神秘性のある存在感から、多くの言語学者や研究家が『ヴォイニッチ手稿』の解読を試みてきましたが、いまなお、正解とされる解読法は編み出されていません。
果たして『ヴォイニッチ手稿』に書かれている内容とは、どのようなものなのでしょうか?
①薔薇十字団の暗号書であったという説
エドワード・ケリーがローマ皇帝ルドルフ2世に『ヴォイニッチ手稿』を売却した際、皇帝が600ダカットという金額を支払っている記録が残っています。
これは現代の金額に換算しておよそ6000万円から1億2000万円に相当する金額であり、皇帝が相当、この手稿に価値を見出していたことがわかります。
実はエドワード・ケリーがルドルフ2世に手稿を売却するに当たって、それに関わった人物にジョン・ディーという人物がいたことが知られています。
このジョン・ディーという人物は、フリーメイソンの一派である薔薇十字団のメンバーであったとされ、『ヴォイニッチ手稿』も、薔薇十字団に関連する暗号書であったとする説が存在しています。
なお、後年エドワード・ケリーは魔術師であるいう嫌疑をかけられルドルフ2世に逮捕された後脱獄に失敗して死亡、ディーは生まれ故郷であるイギリスに亡命しています。
②カタリ派の教義書であるという説
1987年、レオ・レヴィトフ博士という人物が自書において、『ヴォイニッチ手稿』が古いフランスの言語・フラマン語をベースに作られらクレオール言語(複数の言語を混ぜ合わせたもの)であるという独自の解析結果を公表しています。
レヴィトフ博士は『ヴォイニッチ手稿』にある”浴槽に横たわる女性”の絵が10世紀にイタリアからフランスにかけて広まったキリスト教の異端カタリ派の儀式の様子を描いたものであるとし、手稿全体も、カタリ派の教義を記した書物であるとしています。
しかし、レヴィトフ博士のカタリ派に関する解釈には誤謬があるとされており、彼の唱える『ヴォイニッチ手稿』の内容に関する主張も、疑う声rが少なくありません。
③婦人向けの医学書であるという説
2017年9月、イギリスのテレビ作家であるニコラス・ギブズ氏が独自の研究により『ヴォイニッチ手稿』を解読したと発表し、世界中の注目を集めました。
ギブズ氏によれば、『ヴォイニッチ手稿』はアラビア語を記号として用い、独自の法則性を持って省略して書かれたラテン語であったと説明。
その内容は、この手稿が製作された時代に出版されていた婦人向けの医学書の写しであり、挿絵に描かれた植物も当時の医学書の模写であるとしました。
この説には異論も多く、議論が続いています。
まとめ
『ヴォイニッチ手稿』は、現在電子書籍化しており、pdf版が誰でも無料でダウンロードできます。
「Converting the Voynich Manuscript into an eBook」で検索してみてください。
いまだ、定訳が確定していない『ヴォイニッチ手稿』ですが、あなたも解読に挑戦してみてはいかがでしょうか?