人類の文明は、大河流域に発生した4つの文明=エジプト・メソポタミア・インダス・黄河を起点に発展したとする「四大文明論」というものがありますが、それらの文明が発生する遥か以前に、高い技術力を持つ超古代文明が存在していたとする説が存在します。
・アトランティス
・ムー
・レムリア
失われた大陸に存在していたとされる、これらの超古代文明は果たして実在していたのでしょうか?
ここでは「海に没した3つの古代文明」をご紹介しましょう。
1.哲学者の語るアトランティス文明3つの情報
3つの超文明の中でも、最も古くからその存在が噂されているのはアトランティス文明です。
アトランティス文明は、古代ギリシアの時代、著名な哲学者であったソクラテスの弟子にして、『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』などの著書を遺したことで知られるプラトンが、『ティマイオス』と『クリティアス』の2つの著書でその存在に触れたことで知られています。
『ティマイオス』とは著作のタイトルであると同時に、作中に登場する人物の名前です。
一種の対話集であり、クリティアスという人物の館に集ったティマイオスやソクラテスが国家のありようについて語る中、ティマイオスの話の中にアトランティスの名前が登場します。
この対話集は続編の『クリティアス』と『ヘルモクラテス』に引き継がれる予定でしたが、『クリティアス』が未完に終わり、『ヘルモクラテス』はその構想が残るのみとなっています。
では、作中でティマオスによって語られたアトランティス文明とは、どのような文明だったのでしょうか?
①大西洋に存在した大陸ほどの大きさの島で繁栄した文明
アトランティス文明は、大西洋にかつて存在したアトランティス島に栄えた文明であるとされます。
プラトンの著作によれば、アトランティス島はアジアとリビュア(アフリカ北西部の一部)を足した程の大陸と呼べるほどの巨大な島であったとされています。
実際にその表記どおりの陸地が存在していた場合、その大きさはオーストラリア大陸を超えることになります。
アトランティス島は自然と資源に恵まれた土地で、アトランティス人はそこに強大な都市国家を建設、精強な軍隊を持ってエジプトやギリシアへの侵攻を図ります。
アトランティスには「オレイカルコス」と呼ばれる幻の金属が存在しました。アトランティス人達は、この赤く輝く金属で首都を守る城壁を塗り込め、城壁はまるで赤い炎のように首都を取り囲んでいたといいます。
強大な勢力を誇ったアトランティス文明でしたが、その支配者と原住民との交配が進んだ結果、アトランティス人は堕落してしまいます。
その様子を見かねた神、ゼウスはアトランティスを滅ぼしてしまおうと思い立ちます。
『ティマイオス』から引き続いてアトランティスについて語られている『クリティアス』はここで絶筆しており、未完のままで終わっています。
プラトンの著作を見る限り、アトランティスがどのように滅亡したのか不明ですが、おそらくは神(ゼウス)の怒りに触れ、大陸ごと、海に沈められたのでしょう。
②アトランティスのモデルは実在の島だった
著名なる哲学者であるプラトンの著作に語られていることから、アトランティス文明は長くその実在を巡って議論がかわされてきました。
中でも、最も信ぴょう性が高いとされる説が、地中海にあるクレタ島で栄えたミノア王国がモデルであるとする説です。
ミノア王国はソクラテスの時代から1000年から1500年前に栄えた王国であったとされますが、近接するサントリーニ島で起こった火山噴火によって、わずか一夜にしてその文明は崩壊してしまったと言われています。
③海底から発見されたアトランティス文明の痕跡
1968年、フロリダ半島のマイアミから90km離れたビミニ諸島の沖合海底で、人工的な四角い岩が1.2kmにわたって敷き詰められた地形が発見されました。
発見当時、この人工的な地形は明らかに人間の手になるものと思われ、これがアトランティスの痕跡であるとして大きな話題を呼びました。
ただし、この通称「ビミニ・ロード」と呼ばれる地形はプラトンが記述したアトランティス島の位置からは明らかにアメリカ大陸によりすぎていること、また、その人工的に見える地形は「節理」と呼ばれる石灰岩が規則正しく割れる現象(日本でも埼玉県長瀞の岩畳に見られます)と考えられることから、アトランティスの痕跡とは考えられないという見解が、現在では大勢を占めています。
2.太平洋の超古代文明ムーに関する3つの情報
大西洋に存在したアトランティスと対をなすように語られることの多い超古代文明が、太平洋に存在したとされるムー(Mu)大陸の文明です。
ムー大陸の存在は、1862年にフランスの聖職者シャルル=エティエンヌ・ブラッスール・ド・ブルブールが世界に3つだけ残存する中米マヤ文明の言葉マヤ語で書かれた文書のひとつ、「トロアノ絵文書」を解析して発見、これを公表したのが最初です。
絵文書には、かつて「Mu」と呼ばれた王国が大災害によって滅亡したとする記録が残されており、ブルブールはこの記述にプラトンのアトランティス文明の記述との類似性を見出したと言われます。
しかし、現在知られているムー王国は、最初にブルブールが発見したものとは異なったものになっています。
それは20世紀に入ってから創られた、新しいムー王国のイメージに依るところが大きいと言えます。
果たして、現在の「ムー王国」の印象はいつ、どのようにして構築されたのでしょうか?
①チャーチワードの著作『失われたムー大陸』によって注目を浴びる
ムー大陸の存在を世界にしられるきっかけとなり、同時にムー王国のイメージの基礎を作ったのは、1926年に刊行されたアメリカ人作家ジェームス・チャーチワードの著作『失われたムー大陸』でした。
『失われたムー大陸』の記述によれば、ムー大陸は12000年前に太平洋上に存在した大陸でした。
その大きさは東西8000km、南北5000kmにおよび、現在の太平洋の面積と比較して、およそその1/4を占める広大な大陸でした。
このムー大陸に築き上げられた超古代文明がムー王国です。
ムー王国は白人が支配階層として民を支配する王国で、その人口は6400万人であったとされています。
ムー王国の支配階層の頂点に立つのは、太陽神の化身である、帝王「ラ・ムー」でした。
栄華を極めた超古代文明ムー王国でしたが、その傲慢さによって神の怒りを買い、大陸ごと一夜にして海に没して滅亡したとされています。
イースター島に残されたモアイ像はムー王国の文明の痕跡であり、樹林のないイースター島で、あのような巨石を用いた彫像を建造し運搬できたということが、ムー王国の文明がどれほど進んでいたかを示す根拠ともなっています。
②チャーチワードの示した出典に対する疑問点
『失われたムー大陸』の作者であるチャーチワードは、自著のムー大陸と王国に関する記述の出典は、「ナーカル碑文」と「メキシコの石板」であるとしています。
この2つの古文書はムー王国の聖典とも呼べるものであり、チャーチワードはそれらの解析を経て、12000年前にムー大陸に栄えた王国の存在を知り得たのだと言います。
「ナーカル碑文」は、チャーチワードがイギリス国軍大佐を務めていた1862年に、任地として赴いたインドで現地の宗教学者から入手した粘土板に刻まれた絵文字による文書であるとされています。
もうひとつの出典元であるとされる「メキシコの石板」とは、アメリカの鉱物学者ウィリアム・ニーブンがメキシコで収集した絵文字の刻まれた石板で、この絵文字は「ナーカル碑文」に共通するものであったと言います。
しかし、チャーチワードが示したこの2つの出典は、現物の存在が確認されていません。
ニーブンが大量の石板を収集していたことは確かですが、ムー大陸の記録が刻まれた石板がその中のどれに該当するかは分かっていません。
チャーチワードが文書の現物も、その解析方法も開示していないことから、その古文書自体が存在していなかった可能性が指摘されています。
そもそも、彼は元英国軍大佐を自称していますが、イギリス軍の記録には該当する人物は記録されておらず、チャーチワード自身がもともと詐欺師であったとも指摘されています。
③ムー文明の正体に関する推測
そもそも、太平洋に関する学術調査により、太平洋では最低1000万年以上、大陸の隆起や水没といった劇的な変動が起こった痕跡が発見されなかったことから、12000年前に大陸が海に沈んだという説そのものが否定されています。
また、ムー王国の文明の根拠とされるイースター島の巨石像も、それが建築された当時はイースター島に樹林が存在しており、その木材を用いて巨石を運搬していたことが判明しているため、やはりムー王国の実在を示す根拠とは言えません。
しかし、大陸は存在しなくてもムー文明は存在していたとする仮説があります。
それは、ムー文明が陸地に依存しない海洋国家であったとする説です。
3.アトランティスの起源となったレムリア文明に関する2つの説
アトランティスとムーの両大陸は、それよりもさらに太古の時代にあった大陸の大部分が海に沈んだ結果、残された陸地であったとする説があります。
両大陸の起源とされた巨大大陸の名を「レムリア」といいます。
いったいレムリア文明とは、どのような文明だったのでしょうか?
①元は科学上の仮想大陸だったレムリア大陸
レムリア大陸とは、もともと動物学において、アフリカ・インド・インドネシアという、海で隔たった地域に同じキツネザルの近似種が分布していることに対し、かつてそれらの地域をつなぐ陸地=大陸があったのではないかという推測に基いて考えられた、インド洋に存在したという仮想の大陸の名前でした。
1888年にヘレナ・P・ブラヴァツキーが、自書『シークレット・ドクトリン』においてレムリア大陸説に触れ、大陸があったのはインド洋ではなく太平洋であった主張しました。
ブラヴァツキー夫人は、神の知識を学びより高い認識に達しようとする近代神智学の創始者のひとりとして知られており、彼女の唱えたレムリア大陸説は神秘学を学ぶ人々を中心として支持を集めました。
レムリア大陸には、高い知性と精神性を持つレムリア人が高度な文明を築いていたとされました。
彼らはテレパシーによるコミュニティを築く能力を持ち、その力によって宇宙人との交流もあったとされています。
高度なヒーリング能力や、多次元に移動する能力を持っていたともされ、彼らの文明は平和的で争いを好まない精神的に高レベルのものであったそうです。
高度で安定した文明を築き上げたレムリア人ですが、7万年以上におよぶ地殻変動の末、大陸の大半は海に没してしまいました。
ハワイのタヒチ島は当時のレムリア大陸の中心地であったとする説も存在します。
②アトランティスとの関係性
レムリア文明は、アトランティス文明と深い関連性があったとする説が存在します。
この仮説は大きく2つに分けられ、「滅亡したレムリア文明の子孫がアトランティス文明を築いた」とする説と、「レムリアから派生する形でアトランティス文明が築かれた」という説です。
両文明の成立には、異星人であるシリウス星人が大きく関係していたとする説もあります。
いずれにせよ、両大陸ともに現在は失われており、その根拠となるものも発見されていないため、真相は定かではありません。
まとめ
20世紀前半、ウェーゲナーの唱えた大陸移動説がプレートテクトニクス理論として定説化すると、アトランティスやムー、レムリアの存在に関する仮説が否定され、現代では、それらの大陸は実在しなかったとする説が主流です。
しかし、ムー文明が海洋国家として存在していたとする仮説のように、これらの超古代文明が現在における文明の認識とは違うかたちで存在していた可能性が、それによって否定されるわけではありません。
いずれの日にか、これらの古代文明の実在を裏付ける新たな理論が成立する可能性も否定できないでしょう。