「死んだらどうなるのだろう?」
誰もが人生に一度は、そんな疑問を抱くことでしょう。
死に臨んで起こる体験=臨死体験の存在は、無数の報告例があることからも、それを否定できないことだけは確かです。
多くの仮説が立てられ議論されていますが、臨死体験を説明する定説はいまだ存在していません。
果たして人間は、死に臨んでどのような体験をすることになるのでしょうか?
ここでは「臨死体験3つの仮説」をご紹介しましょう。
1.臨死体験における4つの共通要素
「臨死体験」を医学的に定義するなら「心停止を経験した人が、蘇生するまでの間に体感する現象」ということになるでしょう。
英語では「Near Death Experience」と呼ばれ、日本でも「ニアデス体験」と呼ばれることもあります。
主に欧米(キリスト教圏)での研究が盛んで、統計では心停止から蘇生した人のうち、4~18%の人が臨死体験を報告しているとされます。
臨死体験は個人的体験であり、その内容も多岐に渡りますが、ある程度似たようなパターンを持つことが知られています。
文化的・宗教的な影響をあまり受けていない幼少期に臨死体験をした人への調査から、特に「体外離脱」「トンネル」「光」という3つの共通要素があることがわかってきました。
①自分の身体から抜け出す感覚(体外離脱)
臨死体験において、多くの人が最初に体験することになるのが、「体外離脱」です。
自分の意識が身体を抜け出し、第三者的な視点から自身の「臨終」の場面を見るという体験で、天井近くに浮かんで自分を見下ろしているように感じることも多いとされています。
臨死体験をした人からの調査で、この体外離脱時に見聞きした物事(医者の会話や手術の様子など)は非常にリアリティに富んでおり、蘇生後に、本来であれば患者本人が知り得ないような周囲の状況を、あたかも客観的に観察していたように正確かつ詳細な報告をしているケースも少なくありません。
このことから、体外離脱の経験を、単なる幻覚として片付けることはできないとする研究者も数多くいます。
一方で、「体外離脱には、「一度に自分の周囲360度すべてが見渡せた」等、現実ではありえない身体感覚の拡張を体験するという事例もあります。
②暗いトンネルを通り抜ける
臨死体験において、体外離脱した意識は次に自分が広くて暗いトンネルの中に浮いていることに気づき、そこを通り抜けていきます。
やがて行く手から光が差し込んでくることを感じます。
この「トンネル」体験には、出産に際し胎児が母親の産道を通り抜ける体験の記憶が死に臨んで蘇っているという説があります。
しかし、この「トンネル」体験の際には「やすらぎ(安堵感)」を感じている人が多いことから、狭い産道に圧迫される苦しみを伴うであろう出産時の記憶と異なっているとして、この仮説を否定する人も少なくありません。
③光を見る(光体験)
暗いトンネルを抜けると、まばゆい光に包み込まれると感じます。
調査の結果から、この「光体験」は欧米のみならずアジアや日本での臨死体験のケースでも数多く報告されていますが、現れる「光」の性質は、文化圏の境界を挟んで大きく異なるものになっています。
欧米のキリスト教圏での事例においては、その「光」には圧倒的な「愛」が含まれており、臨死体験者はそこで自分自身の全てが肯定されているという強い安堵感と幸福感を覚えます。また、その光に「神」を感じ取ることも少なくありません。
アジアや日本のケースでも同様の「光体験」の報告例は少なくありませんが、欧米人が感じる宗教観の影響の強い「光」ではなく、陽光のようなあくまで自然な光を感じる、というケースが多いようです。
④この他の共通要素
上記の「体外離脱」「トンネル」「光」以外にも、臨死体験における共通要素として、以下のものを揚げることができます。
・ノイズ:低く唸るような「ブーン」という耳障りな雑音を感じます。
・お迎え:すでに亡くなっている家族や親族、親しい人が迎えに現れます。
・内省:自分自身が辿ってきた人生を振り返る、いわゆる「走馬灯」経験です。
・境界と拒絶:「死の領域」と自分を隔てる境界、日本人の場合は「三途の川」として経験することが多いとされます。
以上のような体験を経て、蘇生へと至ることになります。
2.臨死体験の原因3つの仮説
臨死体験には、生まれ育った国の宗教や文化の影響が色濃く出る部分もありますが、世界的に共通する要素も多く含まれています。
そのことから、臨死体験を単なる夢や記憶の捏造として説明することは難しく、何らかの共通的体験があると考える研究者は数多く存在します。
では、なぜ世界中で共通する要素の多い臨死体験が報告されているのでしょうか?
臨死体験の原因をめぐる仮説は非常に多岐にわたっていますが、臨死体験を研究しているイギリス・サウサンプトン大学のサム・バーニア教授の分類にならって、以下の3つの仮説を上げることができます。
①脳の中で起こっている現象(脳内現象説)
臨死体験は、臨死状態にある患者の脳内で起こる様々な現象が起因となって体験する現象とする説です。
脳内現象説には、脳内麻薬物質であるエンドルフィンが原因とする説、酸素欠乏によって起こる幻覚という説、心停止状態で意識を失った脳が、心臓の再起動に合わせ記憶を放出する説、レム睡眠と同様の障害が起こっているとする説などが含まれます。
臨死体験のすべてを、脳内で起こる現象に起因しているとする説には、異論を唱える研究者も少なくありません。
また、臨死体験が起こる状況は一様ではないことも、この仮説への批判を生んでいます。
臨死体験は単純に心停止状態によって起こるだけではなく、全身麻酔による意識喪失が起因となったり、日常の睡眠時に起こったケースも存在します。
発生条件も、患者の状態も多様な臨死体験に、特定の脳内現象を当てはめて説明することは確かに難しく、結局脳内現象説は今のところ臨死体験を語る科学的定説にはなっていません。
②死に直面したストレスからの逃避(心理的逃避説)
臨死体験は、死に直面した際に、その恐怖からくるストレスから逃れるために、心理的に作り出した幻覚であるとする説です。
アイオワ大学のラッセル・ノイエス教授は、突然死の危険に晒された被験者の心理的動向を臨死体験の共通項と照らし合わせ、両者に共通性が見出されたという研究結果を公表しています。
しかし、臨死体験者の中には不慮の事故等よって心停止を経験した人などの事例も含まれます。
臨死体験を「死のストレスからの逃避」とするなら、自身の死を予期していない人が臨死体験するのはおかしいとして、この仮説には強い反対論が存在しています。
また、臨死体験者はその体験において安堵感や幸福感を感じていることが多数報告されていますが、これも「死の恐怖」からの逃避では、説明が通らないと言えるでしょう。
③超心理学的な解釈とスピリチュアル説
「超心理学的解釈」とは、超能力ESPによる超現実的知覚に依るという説、「スピリチュアル説」とは霊体や魂が「死後の世界」を垣間見たとするオカルト的な仮説です。
確かに臨死体験の研究によって、宗教や文化の相違によらず、共通する項目があることは上記で説明した通りですが、しかしこれらの仮説は総じて科学に求められる「反証」が不可能なことから、いまのところ主流の仮説にはなりえていません。
しかし、宗教家やスピリチュアル系の研究家ばかりでなく、医師や科学者でも、臨死体験を魂や霊体の経験とする説に賛同する人もいることもまた事実です。
哲学者などからは、そもそも臨死体験の前提となる「現実」そのものが、哲学的省察においては自明のものではなく、よって臨死体験を客観的現実を基準に考察すること自体が無意味であるする見解も出されています。
まとめ
臨死体験を証明できないのは、本当に死んだ人が何を見たのか、それを知ることは生きている人間にとって不可能であるのが、その最大の理由と言えるでしょう。
しかし、世界中の人々が、多くの共通項を持つ臨死体験をしているという事実を鑑みたとき、そこから自身の死後のありようを考察することは決して無駄にはならないとも思われます。
自身の人生の終末に臨む「終活」がブームとなっている昨今、臨死体験を学ぶことも十分有意義なことであると言えるのではないでしょうか?