ユダヤ人虐殺など、歴史上にその悪名を遺した独裁者、アドルフ・ヒトラー。
公式には、ヒトラーは子どもを残しておらず、よって彼の子孫は残ってはいないことになっています。
しかし、ヒトラーの子孫は存在するという説も根強く存在しています。
果たして、ヒトラーに子孫は本当に存在しているのでしょうか?
ここでは。史上最悪の独裁者ヒトラーの子孫を巡る6つの説について紹介してまいりましょう。
1.ヒトラーが子孫を残さなかったとする説の3つの説
アドルフ・ヒトラーには結婚した女性がいました。
彼女の名はエヴァ・ブラウンと言い、2人の出会いはヒトラーの死から16年前(1929年)に遡ります。
しかし、2人が正式に結婚したのは1945年4月29日。これはヒトラーとエヴァが死ぬわずか1日前のことです。
ソ連軍がドイツの首都ベルリンを制圧しつつある最中、ヒトラーとエヴァは4月30日、ベルリンの地下壕で自殺を遂げました。
死後、鑑定医がエヴァの妊娠を確認した、という説もありますが、公式にはヒトラーとエヴァの間に嫡子が生まれたという記録はなく、このことから一般的に、ヒトラーは子孫を残さなかったと考えられています。
しかし、なぜ、ヒトラーは子孫を残さずに死んだのでしょうか?
ヒトラーは自ら率いる政党、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)による統治を、神聖ローマ帝国、そしてドイツ帝国に継ぐ「第三帝国」とすることを理想としていました。
帝国を統治する者として、子孫を残そうとすることはごく普通のことと思えますが、にも関わらずヒトラーは晩年にいたるまで結婚することなく独身を貫いています。
ヒトラーが子孫を残さなかったのには、3つの理由があったとされています。
その3つの理由を紹介しましょう。
①自身が患っていたパーキンソン病に子どもが罹患することを恐れた
晩年のヒトラーは重度のパーキンソン病に悩まされていたと考えられています。
パーキンソン病は1817年にイギリスの医師ジェームズ・パーキンソンによって発見された神経障害を起こす病気で、手足の震えや身体のこわばり、歩行困難といった症状が主に現れる病気です。
1942年頃から、ヒトラーは左手の震えに悩まされるようになります。当時のヒトラーを映した記録フィルムでは、その左手の症状を隠すよう、アングルを考慮したり、映像自体がカットされたものもありますが、中にはその症状を映した映像が残っているものが現存します。
当時、パーキンソン病には治療法が確立されておらず、不治の病と考えられていました。
やがて手の震えは右手にも現れ、ヒトラーは食事を取ることもままならない症状に悩まされることになります。
さらに歩行困難な状況になり、筋肉もこわばって猫背になってしまい、まだ50代であったにも関わらず、歩く姿は70歳以上の老人のようであったともされています。
病気からくる不安や焦りが、ヒトラーの晩年における軍事や政治の判断を大きく狂わせたとも言われており、主治医が対処療法的に与えた鎮静剤や興奮剤の副作用による興奮状態や錯乱も、これに拍車をかけたともされます。
この病気が、子孫に遺伝することを恐れ、ヒトラーは子どもを残そうとしなかった、という説が存在します。
しかし、ヒトラーのパーキンソン病が発症したのは1941年頃のことであり、それ以前に私生児を残していた可能性は100%否定することはできません。
②女性に対して奥手であった
ユダヤ人の虐殺など、「狂気の独裁者」としての印象の強いアドルフ・ヒトラーですが、プライベートに視点を映すと、そこには歴史に名を残す独裁者とは違う姿が見えてきます。
食生活ではベリタリアンであり、愛犬家としても知られ、「ブロンディ」という名前のジャーマン・シェパードを飼っていたことでも知られるヒトラー^。
子どもが好きで、女性に対しては紳士的に振る舞ったことでも知られています。
ヒトラーは40歳のときにエヴァ・ブラウンと出会いますが、その時エヴァはまだ17歳の少女でした。
一人の私人としてのヒトラーのひととなりを鑑みれば、彼は年の差のあるエヴァに強く惹かれながらも、結婚に踏み切ることに躊躇したのではないだろうか、という想像も可能でしょう。
ただ、結婚する以前にエヴァが一子として男の子を生んだという説もありますは、これには異論も多く、確かなことは分かっていません。
③自らの子に過酷な運命を背負わせたくなかった
自身の理想のためにはユダヤ人虐殺をも厭わなかった独裁者ヒトラーと、子どもや犬を愛し、女性に優しかった個人としてのヒトラーの差を考えた時、個人としてのヒトラーが支配者としての自分の犯している罪に気づいていた可能性も考えられます。
死の直前になってようやくエヴァ・ブラウンと結婚したヒトラーですが、少なくとも結婚すること自体はそれ以前から考えていたことは間違いないでしょう。
しかし、その時点ですでに戦況は悪化しており、ドイツの敗戦の可能性が高くなっていたことも確かです。
あるいはヒトラーは、敗戦後に残される自分の子孫に、その歴史の重荷を負わせることを望まなかったのかもしれません。
ただし、それを明確に裏付けるような資料は残ってはおらず、あくまでこの話は仮説の域をでません。
2.ヒトラーには子孫がいるとする3つの説
公式には子どもを残さなかったとされているアドルフ・ヒトラーですが、彼の子どもであると主張した人物が存在したことも事実です。
また、ヒトラーの子孫が現代にいるとする説も根強く存在しています。
では、「ヒトラーの子孫実在説」を裏付ける理由となるものには、どんな事を挙げることができるでしょうか?
①ヒトラーの実子を名乗った人物が実在した
一説には、1985年に死去したフランス人男性「ジャン・マリー・ロレット」がヒトラーの子どもであったと言われています。
その根拠となっているのは、彼の母親であるシャルロッテ・ロブジョが遺した「おまえの父親はヒトラー」という言葉です。
シャルロッテの告白によれば、彼女は1917年、当時第一次世界大戦に従軍していたヒトラーと関係を持ち、翌年1918年にジャンが誕生したとのこと。
遺伝子鑑定等の結果、ジャンがヒトラーの血を継いでいるとすることが判明したという説もありますが、事実としては確認されていません。
また、1985年にジャン・マリー・ロレットが死去した際、公的記録としては子どもがいないとされているため、仮に彼が本当にヒトラーの血を受け継いでいたとしても、その血は途絶えたことになります。
②ドイツのメルケル首相がヒトラーの遺伝的な娘であるとする説が存在する
2017年9月時点、ドイツの首相を務めるアンゲラ・メルケル氏。
彼女がヒトラーの遺伝子上の娘であるとする説が存在しています。
旧ソ連の秘密警察機関であったKGBが遺した極秘ファイルによれば、ユダヤ人を虐殺したアウシュビッツの強制収容所で、数々の非人道的実験を行った医学博士カール・クラウベルグが、ヒトラーの凍結精子を所持していたといいます。
このクラウベルグ博士が保存していたヒトラーの精子を、エヴァ・ブラウンの妹であったグレーテル・ブラウンの卵子に受精させて生まれた女の子が後のアンゲラ・メルケル首相であるされています。
③ヒトラーの家系図が間違って伝えられた可能性がある
アドルフ・ヒトラーの家系について、オーストリア通信(APA)は2016年、それまで存在の知られていなかったアドルフの弟が、実は存在していたという興味深い記事を掲載しています。
それによると、従来定説となっていたアドルフ・ヒトラーの家族構成に関し、それまで兄とされていた「オットー」が、実は弟であったという新たな証拠が発見されたといいます。
このオットーは生まれながら水頭症を患っており、生後3ヶ月で死んだとされています。
ナチスは1939年に自らの「優生思想」にもとづき、遺伝的に問題を持つとされる障害者や難病患者を抹殺する「安楽死計画」を発動し、7万人の障害者が犠牲になったとされています。
ヒトラーが「優生学」に傾倒したのも、この水頭症で亡くなった弟のオットーの存在が影響しているという説もあります。
いずれにせよ、ヒトラーの家族構成に関して、ごく近年になってそれまでの説が覆される情報が出てきたということは、ヒトラーの血統が思わぬ形で残されている可能性があるということを示唆しているとも言えるでしょう。
ヒトラーから直接血を引くものでなくても、彼の血統に連なる知られざる子孫が存在する可能性は否定できません。
まとめ
あくまで、公式にはアドルフ・ヒトラーの子孫は存在しない、ということになっています。
しかし、子孫が「存在しない」ことは、論理学的には証明できません。
もし、アドルフ・ヒトラーの子孫が実在したとすれば?
そしてその人物が、今なおナチの思想を信奉する組織にりようされたとしたら?
その恐ろしい可能性を否定することは、誰にもできません。