歴史上、”独裁者”と呼ばれた存在は数多いですが、”独裁者”と言われて、多くの人がまずイメージする人物と言えば、アドルフ・ヒトラーではないでしょうか?
当時のドイツ国民から絶大な支持を受け、民主的な選挙を経て遂には独裁者となったアドルフ・ヒトラーは、第二次世界大戦を引き起こし、ユダヤ人の虐殺を行うなど、その生涯における「負」の業績において、いまだ世界中の人々の心に、拭いきれない傷痕を残しています。
歴史上、最悪の独裁者であったアドルフ・ヒトラーですが、一方で彼はオカルトに傾倒し、数多くの「予言」を残していることでも知られています。
果たして、ヒトラーなぜオカルトに傾倒し、そしてどのように予言をする能力を得たのでしょうか?
ここでは、ヒトラー7つの予言についてご紹介していきます。
1.アドルフ・ヒトラーが遺した4種類の予言
アドルフ・ヒトラーは1889年、オーストリアに生まれたドイツ人です。
青年期には芸術家を志していましたが、美術学校への入学には失敗、浪人と放浪の生活を経て第一次世界大戦時に兵士に志願します。
戦後、ヒトラーは国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の集会に参加、そこで演説の才能で頭角を現し、党の指導者=総統の地位に付きます。
ナチスは当時の世相を背景にその支持を伸ばし、ヒトラーは1933年にドイツ国首相に就任し、その翌年、国家元首となってその独裁体制を確立させました。
ヒトラーがオカルトに傾倒していた事実はよく知られるところで、映画『インディージョーンズ』シリーズなどでもその一端が描かれています。
彼がオカルトに傾倒するようになったのは、画学生を志していた青年期に、足繁く図書館に通ってオカルト関連の書物を読み漁ったことから始まったと言われています。
ヒトラーには悪魔ルシファーが取り憑いていたと言われ、ルシファーがその力によって、ヒトラーに未来の出来事を見せ、彼に予言能力を与えたとも言われています。
ヒトラーの予言は、それが行われた時期及びその内容により、4種類にわけられます。
それでは、かの予言にはどのような種類のものがあったのでしょうか?
①ナチス幹部に語られた「ヒトラー山荘の予言」(1932年)
1929年、自身の著書『我が闘争』の印税を使い、ヒトラーはミュンヘン南東に位置するオーバーザルツベルクに別荘を購入。
やがて、オーバーザルツベルクには、ナチスによって地下壕が建設されることになります。
地下壕の建設現場を視察したヒトラーはインスピレーションを得て、その場で数々の予言をナチス幹部に伝えています。
このオーバーザルツベルクの地下壕で行われた一連の予言は「山荘の予言」と呼ばれています。
「山荘」の予言には、ロケット兵器の実用化や、月面着陸を含む宇宙開発の発展、日本の第二次世界大戦への参戦と原爆投下といった内容が含まれています。
②ベルリンの地下壕で行われた「指名予言」(1944年)
1939年、ナチスドイツ軍へのポーランド侵攻から、第二次世界大戦が勃発します。
やがて、戦況は悪化し、ドイツ軍の敗色が濃くなっていきます。
首都ベルリンも、連合国軍の攻撃を受け、ナチスの司令本部も地下壕へ退避を余儀なくされました。
この地下壕で、ヒトラーはオーバーザルツベルクの「山荘の予言」以来となるいくつかの予言を行っています。
この時の予言は、ナチス幹部など、個人を呼び出し直接行われたことから「指名予言」と呼ばれ、その内容は「山荘の予言」と違い、ヘルマン・ゲーリングやハインリヒ・ヒムラーといったナチス幹部の裏切り行為や、ドイツ敗戦後に建設されることになる「ベルリンの壁」など、悲観的な内容をその特色とします。
この時期の予言は特定個人を指名して行われたことから「指名予言」と呼ばれています。
③敗戦直前のラジオ放送「最後のメッセージ」(1945年)
1945年4月後半から5月初頭にかけ、ドイツ軍と赤軍(ソ連軍)によるベルリン攻防戦が行われ、その最中にヒトラーは地下壕で自殺を遂げています。
この、ナチスドイツ軍にとって、最後の戦いとなった「ベルリンの戦い」の1ヶ月ほど前、ヒトラーはドイツ国民に向け、ラジオで最後のメッセージ放送を行っています。
この放送はトータルで40分程の内容があったとされていますが、録音が現存しているのは約8分程です。
この、現存する録音の中で、ヒトラーはユダヤ人による国家としてイスラエルの名前を上げていますが、イスラエルが成立するのは、第二次世界大戦後の1948年のことであり、結果としてヒトラーはイスラエルの樹立の予言を的中させたことになっています。
また、残っている録音部分には、遠くない未来にナチスが復活するという予言も含まれています。
このラジオ放送はヒトラーによる最後の予言、「最後のメッセージ」として知られています。
④自身の死後150年間の予言をまとめた「究極予言」(1939年)
『ノストラダムスの大予言』を記した作家、五島勉が1988年に出版した『1999年以降 ヒトラーだけに見えた恐怖の未来図 』という著作には、上記の3種類の予言とは異なる、もうひとつの予言が記されています。
1939年1月、オーバーザルツベルクに参集された「ニーベルングの復讐騎士団」と呼ばれる特殊部隊の隊員たちに語られたその予言は、ヒトラーが自らの生誕から数え、50年毎に起こる「人類の変革」を述べるという内容のものでした。
それはヒトラーの死後、150年に渡る3度の出来事を語る内容のものであり、明らかに、他の予言とは異質な内容のものになっています。
この「ニーベルングの復讐騎士団」に向かって行われた予言を、五島勉は「究極予言」と名付けています。
2.150年後の未来を予測したヒトラーの3つの予言「究極予言」
「ニーベルンゲン復讐騎士団」とは、ナチスの親衛隊(SS)の中でも、年功序列に一切関係なく、特に身体・知能に優れ、ヒトラーへの忠誠とユダヤ人に対する憎悪の強さによって選抜された、120人からなる特殊部隊であったとされています。
ナチスの中でも、ごく限られた人間であった彼ら騎士団のメンバーだけが、ヒトラーから告げられた人類の未来像とは、一体どのようなものであったのでしょうか?
①第二次世界大戦開戦と終戦(1939年~1945年)
ヒトラーが語った最初の予言は、第2次世界大戦の勃発と終結でした。
歴史的事実が示すように、第二次世界大戦は1945年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻に始まり、1945年に終戦しています。
ヒトラーはその戦争の結末が、ナチスドイツの勝利に終わるとは限らないとし、例え敗戦であったとしても、騎士団のメンバーがヒトラーの意志を受け継ぎ、ナチスの理想を実現するよう、彼らに求めています。
②ナチズムによる実質的世界支配と”超人”の出現(1989年~1999年)
次に、ヒトラーは彼の生誕から100年後、1989年から1999年に起こる出来事を語っています。
ヒトラーによれば、1989年には、世界はその表面上はいくつもの思想宗教に分かれて勢力を争ってはいるが、その内実はナチズムによって支配さえていると言います。
ナチズムによって支配された国々は、その理想実現のために戦争を継続するであろうとも語られています。
また、この時代にはさまざまな天変地異が起こり、人類は戦争と災害という2つの試練から苦難に立つことになります。
そんな状況において出現するのが”超人”です。
超人とは、哲学者のフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェの創り出した超越的な人間を指す言葉で、ヒトラーがこれに心酔し、ナチズムの思想を構築するのに大きく援用したことが知られています。
戦争と自然災害という苦難の時代に現れた超人たちは、人類社会の頂点に立って世界を支配、少数の超人が多数の人民を支配するという、ヒトラーの理想とする秩序がこれによって構築されると語っています。
③人類の進化と消滅(2039年)
2000年には、人類はヒトラーが理想とする「少数の超人が指導者となって支配する社会」が実現しますが、そこから先に待ち受けるのは、相次ぐ天変地異と戦争という苦難です。
2014年には、戦争と自然災害のために、ヨーロッパとアフリカの三分の一の土地が、人が住むに値しないほど荒廃してしまいます。
しかし、2039年に、人類は大きな転換期を迎えることになります。
それは人類が進化し、別のものへと変化を遂げるという大転換です。
超人として人々を指導する立場にあったものは、より完全な、神に近い「神人」へと進化し、それ以外の民衆は、機械のように操られるままに生きる半分ロボットのような存在へと変化します。
この進化は時間が立つと共に両極化していき、2999年には、人類はごく少数の「神人」と、完全に労働機械化した大衆に分離、宇宙に居住する神人が、地上の労働機械と化した階層の民衆を支配するという構図が出来上がると、ヒトラーは予言しています。
3.まとめ
1948年に出版されたジョージ・オーウェルの小説「1984年」は、一部の指導者が大多数の民衆をその思想・感情までを支配する管理社会の恐怖を描き、警鐘を鳴らしていましたが、ヒトラーの理想とする社会は、まさにこのオーウェルの小説に描かれた世界といえるでしょう。
ナチスドイツの敗戦によって、ヒトラーの願望は絶たれたのでしょうか?
しかし、一部には自殺したとされているヒトラーが実は生存しており、南極に作られたナチスの秘密施設に逃亡したという説もあります。そして実際、ナチスが存続していることを示すかのように、ヒトラーの思想に感化されたネオ・ナチと呼ばれる組織が世界各地で活動しているという事実も存在しています。
果たして、人類が進化した先に待つ世界とは、どのようなものになってしまうのでしょうか?