鳥越城跡という場所をご存じでしょうか?
また、加賀一向一揆の終焉による「磔刑」とは、どのような内容だったのでしょうか。
この記事では鳥越城跡で起こる不思議な現象について考察してみました。
どのような真相があるのでしょうか。
加賀一向一揆とは
「加賀一向一揆(かがいっこういっき)」とは、室町時代末期から戦国時代にかけて、現在の石川県を中心に展開された浄土真宗本願寺派の門徒による武装蜂起です。
始まりは1488年(長享2年)、加賀の守護・富樫政親が本願寺門徒らの蜂起によって滅ぼされた事件に遡ります。これをきっかけに、加賀国は日本で唯一、武士ではなく農民=一向宗門徒による自治国家となりました。
以後、約100年間にわたって加賀国は「百姓の持ちたる国」と呼ばれる異例の体制を維持していたそうです。
彼らは単なる反乱勢力ではなく、組織は堅牢で、寺を拠点として領地支配や徴税を行い、周辺の戦国大名とも時に同盟・敵対を繰り返していました。
特に、白山麓に点在する砦や山城は、一向一揆の軍事拠点として重要な役割を果たしていたと言われています。
農民が築いた「百年王国」の終焉
そんな「百姓の国」も永遠ではありませんでした。1570年代後半、織田信長が本格的に加賀攻略を開始。武力と策略を駆使し、各地の拠点をひとつずつ陥落させていきました。
その最前線のひとつが「鳥越城」だったのです。
白山麓の堅固な山城に籠もった一揆衆たちは最後の抵抗を試みましたが、1580年、ついに落城します。
このとき捕らえられた僧兵や門徒、約300人が磔刑に処されたと伝えられています。
鳥越城跡とは?──加賀一向一揆の終焉と怨霊の残響
石川県白山市にある【鳥越城跡】は、前述の通り、加賀一向一揆が最後に立てこもった要塞として知られています。
1580年、織田信長の軍勢により陥落した際、一揆側の兵士300人以上が磔刑に処されたという残虐な歴史が残されています。
この集団処刑の記憶は、400年以上の時を超え、現在もなおこの地に「怨念の気配」を漂わせているのです。
鳥越城跡のアクセス(地図)
場所は石川県のこちらです。
所在地:〒920-2371 石川県白山市鶴来上東町
金沢市中心部から車で約50分。登山道入り口から徒歩20分程度で鳥越城跡に行くことが出来ます。
夜に響く木魚と落ち武者行列の怪
木魚の音の怪談
「後ろから**ポクポク…**という音がした。木魚みたいで、山中に誰かがいると思って逃げ出した」
YouTube投稿やX(旧Twitter)では、鳥越城跡の本丸跡周辺で「木魚の音」を聞いたという証言が複数確認されています。
特に深夜は霧が濃く、人の気配を感じることもあるとのこと。
落ち武者行列の幻影
白装束や鎧姿の男たちが列をなして山道を進んでいた──これが「落ち武者行列」と呼ばれる怪異。
いくつもの目撃談がXに寄せられており、「気配はあれど音がない」「足元が宙に浮いていた」という共通点も。
一向一揆最後の砦、鳥越城址
戦国時代、織田軍に300人の一揆衆が磔にされたんだって
立派に整備されてて良い城址だったけど、YouTubeの不思議大百科(@geta_hanao )でも心霊スポットって言われてて、雰囲気のある場所でした。 pic.twitter.com/9BiikC8ual
— マサキ監督 (@0709_masaki) April 29, 2022
夜の鳥越城跡で心霊現象に遭遇!?
鳥越城跡ではどのような心霊現象が起こるのでしょうか。
磔刑に処された怨念による300人以上の兵士による怨念なのか、重い雰囲気が漂っているようです。
「気配がすごい」「カメラが突然動かなくなった」「本丸跡で謎の音」など、撮影中の不可解な現象が次々に。
鳥越城跡を訪れた動画では、どれも「異変」を感じている様子が感じられます。
火の玉伝説と霊的エネルギーの考察
鳥越城跡では、昔から「火の玉が飛ぶ」という伝承があります。夏の終わり、城の上空に現れる青白い光。
それが見えた夜は“悪いことが起きる”と地元では恐れられてきました。
心理的には、「戦争による集団死」というトラウマが、この地の波動に霊的な「重さ」をもたらしている可能性も考えられます。
訪問時の注意点
夜間の訪問は非常に危険(熊・滑落のリスクあり)
足場が悪く、ライトなしでは行動困難
心霊目的の訪問はマナーを守りましょう
地元の方の生活エリアでもあるため、騒音・ゴミ・無断駐車厳禁
まとめ:城址に刻まれた怨霊の記憶
鳥越城跡は、単なる歴史遺産ではありません。
そこには、命を散らした者たちの怨念、処刑された300人の叫びが今も刻まれていると噂されています。
あなたが歩くその森の中で、ふと足を止めたとき──
静寂の奥から、誰かの足音が響いてくるかもしれません。