バトルロワイヤルというのは、映画があまりにも有名であるため、おそらく日本人ならば一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
味方や友人関係なく、殺し合いが始まる環境・・・。
通常では、そんなことはありえませんが、特殊な環境かにおかれると人々は変貌し、ついには・・・。
そんなことが実際に起こった島・・・今回はそんな呪われた島「ピトケアン島」のお話です。
楽園を目指して
なぜこの島が呪われた島って呼ばれているのか・・・。
その話は18世紀に発端があります。
イギリスが現在中米と呼ばれる地方を開拓しようと航海していた時期。
その開拓の要因の一つであったのは「食料対策」。これは国家を上げた計画であり、その計画の指揮をとるポジションに抜擢されたのが海軍仕官ウィリアム・ブライ。その当時33歳。
ブライはタヒチ島にあるパンノキをイギリスへ移植しようと、タヒチ島に向かっていました。
ブライが指揮を執った軍艦バウンティ号は無事にタヒチ島に到着し、パンノキの苗木を積んで、イギリスへ戻るために出港しました。
ここまでは任務も順調だったのですが、ここで問題が起きます。
ブライ船長はかなり厳しい船長で苗木に必要な水を乗組員に与えないなどの横暴な対応を取り始めます。
そのことによって乗組員が反乱を起こすのです。
副船長のクリスチャンを筆頭に船長を追放しタヒチへと戻りました。
タヒチは実際、かなり生活が快適だったようで、乗組員それぞれがナンパした女性もつれ楽園を求めて、そして、イギリスの追手からも逃れるためタヒチを出ました。
そこから半年後、ようやく希望の島ピトケアン島を見つけたのです。
船員としてタヒチの男性も数人連れて行ったそうです。
バトルロワイヤル勃発
ピトケアン島に上陸した8人の反乱者&タヒチ人男性は証拠隠滅のためにバウンティ号に火をつけてしずめました。
ピトケアン島で理想な国を築こうとするのですが、
3年後・・・
タヒチ人男性達を奴隷扱いしていたため、反乱が起きてしまうのです。
反旗を翻したタヒチの人々に、クリスチャンや船員であった者たちは殺されてしまい、さらにはタヒチの男たちも女性を巡ってお互いを殺し始めたのです。
さらに、生き残っていた船員たちの逆襲も始まり、タヒチの男は全員死亡しました。
これにより、残ったのは船員の男性4人、そして、タヒチから連れてきた女性のみ。まさに地獄絵図のような殺し合いの螺旋・・・。こうした誰も救われることのないようなエピソードが「呪われた島」と言われる所以です。
6年後・・・
さらに不幸は続いていきます。ピトケアン島にきてから6年目にしてマッコイという人物が木の根からお酒を作ることに成功したのですが、泥酔いして崖から転落して死んでしまうのです。
その後、酒癖が悪かったクインタルが殺害されクインタルを殺害したネッド・ヤングは病に倒れ、とうとうジョン・アダムスという人物がこの島で唯一の男性になりました。
島を再生
しかし、このジョンアダムス。
この人が頑張って島を再生していきます。
タヒチの女性たちのお腹には、クルーたちの子供がいました。
クリスチャンだったアダムスは、聖書を使って文字の読み書きや道徳を教え始めたのですね。
こうしてアダムズは絶望のドン底にあったピトケアン島で先頭に立って秩序を立て直したのです。
その功績から、ピトケアン島に船が到着してから24年後にイギリス本島の海軍がやってきて、バウンティ号が反乱した事実が判明しましたが、アダムズはおとがめなしとなりました。
そして島の教育・秩序の再生に尽力したアダムズはピトケアン島にて、その生涯を閉じました。
今では、島には45名もの人がすんでいるそうです。バトルロワイヤルを繰り広げた末裔たちが・・・。
水は雨水を汲み、町には発電機もあるので、生活に困ることはないそうです。
これが呪われた島、ピトケアン島で行われた歴史。
信じるか信じないかはあなた次第。
色んな話があるものです・・・。