漫才コンビである中川家は兄弟なのだが、兄をいじめたり、不快にさせたりした人間にはよくないことが起きるという都市伝説が芸能界で囁かれている。
この都市伝説は意外と一般でも有名な話で、実例もかなりあるようだ。
異常な体験の始まり──「ある漫才ネタ」を境に全てが変わった
中川家がまだ駆け出しの若手芸人だった頃、あるライブで披露した“とあるネタ”をきっかけに、兄・剛に異変が起き始めたという。
そのネタの内容は「精神病院の患者になりきる」という、当時としては際どく、しかし非常にインパクトのある漫才だった。
ネタ中、剛が精神を病んだ人物の動きをリアルに演じると、会場は爆笑の渦に包まれた。
だが、奇妙なことに、そのネタを披露して以来、剛の精神状態が徐々に不安定になっていったのだ。
そして、しばらくして彼は芸人としての活動を一時休止するに至った。理由は「パニック障害」。
突発的に動悸が激しくなり、息苦しさに襲われる症状が頻発するようになったという。
だが、ここからがこの話の“都市伝説”たる所以である。
「憑依」だったのか?剛の演技を見た関係者が漏らした“違和感”
このネタを見たある演芸関係者はこう語っている。
「あれは“演技”なんかやない。“本物”や…」
剛が舞台で見せた“精神を病んだ人”の挙動は、あまりにもリアルすぎて「本人の人格が乗っ取られているようだった」と感じた人も少なくなかった。中には、“彼の背後に黒い影のようなものが見えた”と証言する者も現れた。
また、収録スタジオのカメラが何らかのノイズで録画できておらず、「そのネタの映像が今も残っていない」という事実もこの噂に拍車をかけている。
撮影スタッフの一人が「カメラが勝手にシャットダウンした」と語っているという話も残っている。
一種の呪い?中川家に起きた悲劇とは?
前述の内容とは別のうわさで、某漫才コンビの一人が、中川家の兄を執拗ないじめでパニック障害に追いやったという話をご存知だろうか?
その際、吉本の仲間たちに心配され、支えられ、パニック障害を乗り越えて復帰してきた時に、まるでタイミングを計ったかのようにいじめをしていた某その人の持っていた全国で引っ張りだこにされていたレギュラーがなくなり、関西で活動をするも結局相方の不祥事がきっかけでそのままフィードアウトしてしまっているのだ。
ちなみに、パニック障害になってしまった兄は坂田利夫の「喋れんかったら喋れんかったでアホな顔して笑ろとったらええねん」という言葉に感銘を受けたと語っている。
この言葉で一気に気が楽になり、症状もよくなっていったという。
また、パニック障害に陥ってしまった兄をからかった某お笑い芸人は、大物芸能人とのトラブルがきっかけで抱えていたレギュラー全てを失うという状況に陥ったらしい。
この人に至っては、昔から目上の先輩に礼を欠いた物言いをする、昔いじめていたスタッフが偉くなったことで現在仕事を干されてしまった、芸風が変わらなかったなどの理由でお茶の間から消えたのでは?といわれているが、それにしてもレギュラーを干されるタイミングが絶妙に一致しているため、都市伝説だろうという声が大きいのである。
某タレントの死と関係している?
某タレントが2009年に亡くなったのだが、彼女の死についても中川家が関係しているという都市伝説がある。
報道では「彼女を悪く言う人はいなかった」とあるが、実際には、中川家兄をゲストに迎えた番組で、兄のことを散々いびり、執拗にいじめたらしい。
もしかして、これがきっかけで急死してしまったのでは?という都市伝説は今でも囁かれていることである。
また、逆に中川家に良くしてくれた吉本芸人はブレイクするという都市伝説もあり、現在テレビで見かけるブレイク中の芸人は、中川家に親切にしたからブレイクしているといわれているらしい。
現在の剛の「不自然な回復」と、礼二の沈黙
剛は現在、パニック障害を乗り越え、テレビでの活動を再開している。
しかし、その回復劇には“説明のつかない部分”があると語る関係者もいる。
「あれほど重度だったのに、突然症状が消えたように見えた」
この「突然の快復」も、都市伝説を加速させた原因の一つだ。
一部では「霊媒師の介入があった」「ある“契約”を結んだのではないか」などの説も飛び交っている。
本人たちはその後、二度とあのネタに触れることはなく、兄弟ともにその件に関して語ることを避けている。
「精神病院の患者になりきる」というネタに対して、礼二がテレビで「あれはもう…やらん。いろいろあったからな」と苦笑混じりに語った一言が、すべてを物語っているようにも感じられる。
まとめ
芸人とは、人々を笑わせるために自分の身を削り、時にタブーに踏み込む存在だ。しかしその行為が、何か“見えない領域”と接触してしまうことがあるのかもしれない。
中川家の封印されたネタには、ただの笑いでは済まされない“何か”が潜んでいた。彼らが見たもの、感じたものは何だったのか。それを今となっては誰も知ることはできない。
ただ一つ言えるのは、「本当に恐ろしいのは、笑いの中に潜む“異常”なのかもしれない」ということである。


